浅田真央のコーチを務めていたロシア人の女性、どなたかは存じませんが感服いたしました。
あなたは浅田真央に重い十字架を背負わせましたね。
我らの親方である世阿弥が「秘すれば花」と申しておりましたが
無垢の少女のまま、浅田真央がよもや金メダルを、あの頃と同じようなスタイルで取ったとして
それが彼女の限界であり、且つ臨界を迎えることなく終えてしまうだろうことを
想像されたのでしょう。
それは、危険な賭けであったことでしょう。
我々には到底、できないことです。
我々のようなひ弱な精神では「なにもやらない」ということを選択する他なかったことでしょう。
本人の自主性に任せる、とかその類でしょう。
浅田真央の敗戦後のインタビューの目を見れば見るほど
それは確信に変わりました。
危険な賭けがどう出るか? 私は今日のこの悔しさを浅田真央が忘れず
また、真央ちゃんと呼ばれることを永遠に拒否して欲しいと感じました。
負けた理由の多くはそこです。
あのロシア人の女性の中に
我らのひ弱さ、幼稚性を破壊し尽くそうとした形跡を認めることができない人間が
ルール改正だのなんだのと、無様な姿を晒している。
目の前で、キム・ヨナが「自殺」したということに
なぜ、気が付かないのか。
先に行くべき、永遠に手が届かない場所に
目の前で行かれてしまった、ということに対して
己の不甲斐なさを浅田真央は泣いた。
我々がその涙を見て泣いている。
今まで一度も嘘を付いたことがないというのと同じ「嘘」を孕みながら。
簡単に忘れてしまう。簡単に明け渡してしまう。
そう、あのロシア人の女性が言っているような気がする。
オシムのことも強く思い出す。
浅田真央に足りないものは、単純に「学」。逆に言えばそれだけ。
「秘すれば花」。
黒澤明、小津安二郎がなぜ、未だに世界中の人々の心を打つのか?
時間は限られている、我々もまたしかり。