私はCどころか日本語すらまともに書けない。
皆さんと同様、ポインタでつまづいている。
向いてない。が理解したい。
クレイジーなアーティストのビックリサウンドよりも、ずっと知りたい。
辻井重男という先生がいる。「暗号」の先生だ。
先日、ひょんなことから話を聞く機会があった。
1時間30分程講演を聞いてたら、文芸評論家メッタ切りで、というかあまりにも痛快かつ
残酷な論理世界で、周りはほとんどが技術者ばかりだったが場違いの質問をし、且つ本を買った。
その話をメールで書いたら著作を送って頂いた。
あまりにもあまりな内容に、腰を抜かした。
これが現代か、と思った。
現代の、数学を立脚点とした暗号は、理論そのものが理路整然として美しい。
と精緻な土台のない私は、腰を抜かすことしか出来ない。
わたしと暗号の直接的な関係は、たまにこのサイトでも書くが、乱数放送が録音されたものを寝る前に聞くこと。
なんの魅力もない数字や文字の羅列を、音声で、人の声で、正確に、秘匿された人間が
秘匿された情報を公の場に電波を使って、秘匿された人間へ伝えるという
なにもかもがオールドスクールな乱数放送の、賽の河原のBGMでしかないあの声や音、短波のざわめきが
凄みを持って我々にのしかかって来る。水子のような音楽だと思う。
その例えようのない美しさと、暗号理論そのものが持つ数学的美しさとは、直接的な関連性はない。
ないのだが、いつも、彼らは私を深い眠りの中にしっかりと、引きずり込んでくれる。
鍵が公開されるまで2千年かかった、という辻井先生の一言一言が、数理の世界では当たり前の「事実」なのだろうが
我々の世界にその言葉が投げつけられた瞬間、それは別の命を宿し、歩き始める。
ここでは、未だに江戸川乱歩「一銭銅貨」がスタンダードだと、テレビを見ながら放屁する。
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