映画『イル・ポスティーノ」について。当時、大阪で封切り時に観た。
観終わった後、映画の中で言われていた「詩とは暗喩である」的な台詞に強く反発した。
暗喩を超えた暗喩が真理じゃないか、人類いろんな意味で言いたいことが言えないんだから
そんなこと認めちゃいけない、と強く思った。
あれから何十年か経った。
暗喩、よりも「私の場合」。
翻訳とは少し違う、コンピュータ用語でいうConvertとも違う。
「私の場合」が今はしっくり来る。
「私の場合」は、自分も相手も認めた場合において
初めて成立し、見守ることができる
il Bostinoについて。
彼の暗喩の素晴らしさは
受け止める「力」だと思う
その力自体が暗喩であり、だからこそ
ある者はうらやましがり
ある者は反駁し
ある者は熱狂し
ある者は諦め
ある者はある者であることをやめる
ある者は認める
掃除をしながら山に登る
風呂に入りながらSLを撮影する
料理を作りながらドライブする
洗濯をしながら仲間と触れ合う
これらはすべて
子供と遊びながら子供と遊ぶことと
同じ気がした
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