ここ数年、即興を核とした激しい緊張漲る演奏を通して、彼らは自身を突き放した先にある「pop」を自らに融合させ、本気で「最後の立体的な太陽」になるつもりなのか、と思っていた。それが再生なのか、それとも破滅なのかはわからなかった。混乱と解放による跡形のなさがライブハウスにいつも残った。小さな、しかし意味のある爆発だったと思っていた。ただ、ライブを続けて見ていくうちに、いつしかそれがより深く、より高く、より遠くへ自身を突き放すことを彼ら自身が定めたのではないか、と思い始めるに至った。こわばりの中で揺れるしなやかさの塊。煮始めた蕎麦の芯のようなものが、そう思わせたのだろうか。
2015年2月。ここに来てこの曲「kodomosun」が公開された。昔々の、「崖から飛び降りてそのままいなくなってしまった」頃の曲。おれに記憶はない。ほぼ全面ディスコと化した最近のプレイで頭が沸騰して寝られなかった曲だ。もしかしたら別の曲と思い違いをしているかもしれない。それでもかまわない。その位、この曲のライブでの再登場はショックだった。なぜ今なのか。どうしてなのか。このビデオを見て、更にショックがおれを襲った。なぜこのバージョンなのか。聴き続ける内に、この選択がベストだと思うに至った。
改めて、この曲に耳を向ける。木陰から相手を見守るようなリズムにのせて、ギターと声はかすれ、揺れながら、あの頃を歌う。今まで以上に色のない、模様の様なサウンドに絶対回帰しながら、なおかつ視線がこれまでの彼らのどれとも似ず、豊穣だ。彼らは新しい視点を獲得した。それは「水しぶきの中で揺れた虹に/そっと手を伸ばすだけでいいよ」という、それまでの「バンドでしか言えなかったこと」から、さみしかった小さな頃の自分に寄り添い、叫びを上げた自身の肩を抱き、赦し、解放する「過程」なのではないか、と思うに至った。そして、それが、過去への視線だけではなく、これを書いている今でも生まれつつある、多くの新しい命への、他者への、彼らなりの囁きなのではないか、とも思うに至った。そして気付いた。今までLFBの「言葉」について書いたことは一度もなかった。そういう意味では彼らの内部にまた一つ、入った気がした。ただ、木陰のリズムたちに声を掛けたくなった。君たち、もっと前に出てきて顔を見せてくれよ。どんな奴なのか、紹介がてらぶっぱなしてくれよ、と思った。
ビデオは唐突に始まる。青年の芯が据わった眼のアップ。鼓動とバスドラがシンクロしながら、なんのためらいもなく放たれる裸体と文字の題。清水佐絵が手を挙げて、スタートする合図だ。ここから数分間、奇妙な人間世界とその価値基準を冷たく見つめる作者の視線の色合いが見える。その内面を支える大いなる抱擁と強固な意志の羽ばたきが聞こえる。気泡の立つ液体の生き生きとしたなまめかしさと、子供という境界を通して明確に分断される「現代」が、一組のカップルの虚しく、脆く、無残な日常を浮上させることで対照させている。嘆息は何の役にも立たないことを監督は知っている。いや、監督は嘆息は時に必要だと考えている。ただ、それだけでいいのか、いいと思っているのか、と自身を通して見る者に問う。「時にカメに魅了されても人間はいいのだ、子供のような瑞々しさをもっていれば」という彼女の利己主義に基づいた、懐の広い「人間肯定」が横たわっている様に思った。故に、覚醒が必要であるとも監督は説いているとも思った。
あの気泡はモノリスの産湯であり、作者の内部に深く沈潜する本映像の視線の主であるともいえる。気泡が泡立ってまるで沸騰するかのような光景に、それが、誰も見たことのない宇宙誕生に立ち会ったかのような、生命の源泉を彷彿とさせた。遺伝子のどこかに、この光景に関する記憶が含まれているのではないか、と思った。また、監督は気泡への関心を帰依としてではなく、対立軸としてでもなく、普遍の法則として描きたかったのではないか、とも思った。アップで見つめる目には、カメに魅了された男と「関心」という言葉の字面は同じだが、そこには「主体性」がはっきりと感じられる。清水佐絵の魅力のひとつである「しっかりと見とれている」光景だと思った。
冷たく虚しい社会の象徴を象徴する(戯画化された、手垢にまみれた人間社会が、自身を戯画化し、手垢にまみれた言葉で自身を塗りたくろうとしている皮肉な光景)のとは対照的に、子供らがモノリスとの境界にあることとその神秘性を、映像によって明確に言語化しているのがこの作品の白眉と考える。特に、一人の子供が突然、何の気なしの様に手をかざすシーンには、奇妙な人間社会とは真逆の、生き物が持つ生命そのものがそうさせたと言わざるを得ない、自然であるが故の意味の消失を感じた。これが人間だ、という監督の意志が結実した美しいシークエンスだと思った。
LFBの木陰から見守るような伴奏の中で、Vo山下が立ち尽くす姿と、清水佐絵の映像が掲げる「人間肯定」。その双方がこのビデオで奏でるものは、生きるということの面白さや楽しさといった陽が当たる部分には、必ず影があるということ。そして、陽も影もあってのsunであり、kodomoではないか、という元kodomoたちの、自身へも向けた人間(kodomo sun)への呼びかけではないだろうか。
「kodomosun」 LFB(聞き取り:日向正親)
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ドーナッツのかけらは
夢見る子供さ
きっと大人は不機嫌
きっとネズミは笑う
落書きだらけだね
僕の部屋で
テレビも見飽きたよ
だからそうさ
シーソーへ
シーソーへ
シーソーへ
シーソーへ
きっと僕は白い場所で
きっと君は赤い場所で
水しぶきの中で揺れた虹に
そっと手を伸ばすだけでいいよ
シーソーへ
シーソーへ
シーソーへ
シーソーへ
走る子供たちよ
anywhere
anywhere
ドーナッツのかけらは
夢見る子供さ
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『Kodomosun』
Music by LFB
Vision by SAE SHIMIZU
音楽 / LFB
監督・脚本・撮影・編集 / 清水佐絵
編集サポート / 小林万平
出演
パチンコ男 / 小塩健次郎
グラサン女 / 小塩ともこ
根無し草女 / デラ
フランス人形のような子供 / 小塩とわこ
子供 / 桃子
子供 / アキラ
LFB
Vocal , Guitar / 山下雄也
Bass / 中楯純
Drums / 山口学
LFB「Kodomosun」(2015)
詞・曲 / 山下雄也
編曲 / LFB
録音・編集・マスタリング / Masafumi “MOL” Fujimaki
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