photo session “tokyo” since 2010-11-06
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6月 20th, 2011 · No Comments
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6月 20th, 2011 · No Comments
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田中秀幸君の写真について 私的雑感
6月 20th, 2011 · No Comments
ここ1年ほど、田中秀幸君の写真を、仕事という形で見ている。
今日一日中、彼の写真と格闘した。
彼の写真を見て感じることの多くは、切ないものだ。
切なさを切なく感じることほど愚かなことはないが、彼にはそういった素振りは微塵もない。
実に堂々としている。
だから余計切ないのか、と思う。
時間を相手にすれば、かなりのものが切なく見える。
いや、だからこそ美しく、屹立するともいえる。
そういう危うい調和の中で、しっかりと安定した場所を持っている。
なぜ? という言葉で写真を読んでいく。
なぜ、この人はこんな格好で歩いているのか。
なぜ、この建物はこんなに歪んでいるのか。
なぜ、この木はここに植えられたのか。
連続した動きの中の、ほんの何百分の一秒かを彼は「なぜ?」で抜き取る。
正常だと感じている世界に公然と潜むバグのようなものを、彼は抜き取る。
彼とそれの間には、物理的な会話はあまりないような気がする。
ただ、互いの心の底で、互いの邂逅を喜び合っているように感じる。
「ようやく会えた」という様な言葉が聞こえてくる。
なぜ? を追いかけていくことで
その誰か、なにかを探し続けているような気がする。
終わりのない旅なのだと思う。
それでいて、突き放したような、にじり寄るような、焦りのような、やさしさのような
そういったバラバラなものも感じる。
感情を表現する、ということにおいて、公平にどんな感情とも付き合えているように感じる時と
明らかになんらかの衝動に駆られている時との、波がある。
実に堂々と、それらが静止画の中に腰をおろしている。
胸の痛みをさすってくれたり、突き刺したりが繰り返される。
その波の中に、淡い色彩が浮かんでいる。
慰め、安らぐ、旋律のようなものが、どの写真にも横たわっていて
やさしく見る者を包む。
そういった今日の雑感。
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