作詞家という生業は商業音楽の世界の変革に伴って
過去の輝きを失っている
これは単純な言い方をすれば
音のようなものと言葉のようなものが
ある種の交配によって別の生物として
進化を始めた結果である
過去、音と言葉は水と油であり
互いに密度の高まりを予感させつつ
理想的な別離を遂げていたように思う
呪文的な言葉、呪文的な音楽
その塊のようなものから「マジック」が消えてしまえば
その場はただの荒野となる
妙な融合を果たしている歌の数々
言葉からその経過を辿っていくと
どうしても阿久悠にたどり着かざるを得ない
21世紀の私がいる
演奏時代と打込時代
音にはそんな区分けが出来るのかもしれない
フォーク以前 フォーク以降
そんな別離を予感してみたりもする
しかし
阿久悠という存在はそのどれにも反して
歌の極北から湿り気の少ない風を吹かせ
季節を列島にもたらせた
阿久悠が残した断絶の果てが
いまの私にとって舌が焦げるほど刺激をもって
押し寄せている
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