唐突で鮮やかなイメージだった――はるか海上を白馬が走る。虐げられた女ミツの遠い故郷を歌う「相馬盆踊り」がそこに、流れる。浦山桐郎の『私が棄てた女』だ。福島県浜通り北部の相馬が津波によって被災し、更に放射性物質からの退避によって故郷=共同体の機能を奪われたとき、不意にこのミツの顔と馬の姿が浮かんできた。たしかに人は、断ち切られることを受け入れて生きているが、三月十一日の出来事はその「切断」の意味を超えてしまった。出来した悲劇に対して何が可能かと問う。確固としていた倫理の関係が超えられてしまったのだ。「映画」も「文学」もむろん「音楽」も何も可能ではない。そんな議論自体が無為だ。壁画に残された古代の人間たちの営為を辿りながら、スイスの美術史家ジークフリード・ギーディオンは、人間が初めて国家という予見し難い結末に至る組織を作ったとき、そこでは何が起こったのか、と問うた。その「結末」の姿を見なければならない日々が震災からの四ヶ月だ。福島第一原発の徹底的に憎悪すべき事故は地震の併発的事故だが、「国家の結末」においてみれば必然の事故である。その必然になにひとつ対応できない組織が国家であり、「近代の結末」だったというあからさまな事態を、いまわれわれは眼前にしている。震災当初は、経験したことのなかった大きな空洞感の中で、慟哭とともに見出そうとしていた可能性と原理的な希望は、いま毎日ひとつずつ消されている。首相の「脱原発』表明が個人的な見解だなどと注釈する議会制に頓着するキチガイじみた政治家らはむろん、真摯に声を出すべき知識人らも同様に悪しき「国家の結末」に手を貸している。この国に二度といい夏はこない。
(映画芸術no.436 〔2011年7月発売〕 編集者「I」の文章)
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この国にいい春は二度と来ない
3月 15th, 2013 · No Comments
2011年春3 「人々」東北
4月 23rd, 2011 · No Comments
「言葉はいらない、ただ、口の中で、結べればいい、それでいい」
「木が倒れている、電柱が倒れている、文字がない、言葉がない」
「北陸道で大阪市のごみ集積車が今まで一度も出したことのないスピードで北上」
「テレビで話している、言葉? ぼろい感じがする」
「全部を把握するには、濃すぎて」
「春先にならないと雪が消えないから、道路工事は4月過ぎてから」
「いやいや、力があんねー、あいつが作った、男のレース、めったに行がねぇよ、実際、なんだべなー、まくりじゃねぇ、まぐりだ」
「足りないものはなにかと聞かれたので、ガソリンと仕事と答えた」
「人の文字が悲しい。なにを読んでも悲しい。文字も言葉も海へ流れてしまった。残された文字が悲しい」
「ある面では普通に戻りたい」
「時折、残っている言葉が悲しい。悲しい、悲しい、悲しい」
「筆記体しかかけない」
「震災から一ヶ月、盛岡も少しだけ落ち着きました」」
「この川に流れていた水が、この海に流れていた水が、川へ、山へ登っていった。なにもない。根こそぎない、根しかない、間取りしかない、この家が建つ前に、家族で行われた会議のこと。子供たちは興奮して、わたしのへや、ぼくのへやと言い合っている。部屋は彼らにとっても私にとってもとっても大切な場所なのだと思う」
「防風柵(さぐ)」
「全部流れてしまいました」
「心のふるさと 会津へようこそ」
「全部を早くするのには濃すぎて」
「わがっぺ、あいつはもう年増だっぺさ、番手になっても奥、奥から七番が、コーナーからまぐる、まぐってぐる」
「すごぐきれいなしだれざくら」
「風評被害? おれは風が好きだし、風に吹かれるのは大好きだ。でも、評なんかに負けてたまるか。そんな人間が作ったものに負けてたまるか。風と一緒にするな」
ふるさとの川を忘れず帰って来る鮭、そして太古の昔より里人の生命を支えてきた鮭/私たちは感謝をこめて採卵し稚魚をそだて放ち鮭の命が永遠に継続することを願いこの碑を立てる。
ふるさとの川を忘れず帰って来る人、そして太古の昔より里人の生命を支えてきた人/私たちは感謝をこめてつながり人をそだて放ち人の命が永遠に継続することを願いこの碑を立てる。
ふるさとの川を忘れず帰って来る言葉、そして太古の昔より里人の生命を支えてきた言葉/私たちは感謝をこめてつながり言葉をそだて放ち言葉の命が永遠に継続することを願いこの碑を立てる。
「今後、復興事業でいろんなものがこちらに回ってくるでしょう。それも希望としていいと思います。それは同時に新たなビジネスチャンスでもあると思うんですよ。もしかしたら、被災地が今後すごい発展をするかもしれない。今までは考えられなかった流れが来る訳ですからね。あらゆる希望が被災地の支えになると思うので。復興が何年かかるとかは後でいいんです。被災地に一刻でも早く先を向かせることが復興だと思います。いつまでも言葉狩り不謹慎ゲームやってたって復興はない。物資も流通も安定したら、もう被災地は次へ歩まなければいけないんですよ(盛岡市の桜山にある「かもし処 陽-SUN」のBOSS、KobA。From 大阪のフリーペーパーMinamixの4月号「緊急対談:東北都市 被災後のREAL」より無断転載)」
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2011年春2 「無音」東北
4月 23rd, 2011 · No Comments
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