下手な駄洒落というか新聞川柳というか
工芸を見定めるような部分と
男女の少し毛羽立った瞬間のようなもんが
無神経に入り混じっている状態が
なにかを見る上での、骨組になっている。
たとえば。
たまに仲間と遊んだとする。
雰囲気がぐっと良くなる音楽を良く知っていたりする。
帰宅後、自分の蔵音を眺めてみて
「人を喜ばせる音楽はここにはない」と思い
「人を喜ばせるために音楽を聴いたことはない」と思い
「人が介在することはそもそも不純」と思い
「不純と思う状態から溢れ出したい」と思い
気つけば朝になっている。
この一連の流れの中で
私が、物理的に自分の位置を恣意的に移動させ
手触りを覚える範囲での感覚を変えてみた記憶はない。
思う、ということはそういう錯覚の状態を
現時点では言う。
肉体が思い煩っている、という状態を
無雑作に扱うこと。
写真は夏に山中湖で出会った
アメリカのye rin mokの携帯写真。
淑女やわ~