圧倒的な存在感
何もかも忘れた
Entries from 1月 2011
泉にて
1月 9th, 2011 · No Comments
Tags: 日々
鈴木志郎康さんの『日没の印象』を見た
1月 2nd, 2011 · No Comments
日没の印象 / Impression of Sunset from nonoho55 on Vimeo.
鈴木志郎康「日没の印象」 http://www.catnet.ne.jp/srys/films/nitibotu/nitibotu.html
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10年程前。私はある詩を読みました。
鈴木志郎康さんの「胡桃ポインタ」という詩集に収められた
「箱と胡桃」というのがそれです。
それから10年間、ことある毎に思い出し、たまに読み、そして忘れました。
10年後である今年、最初に読んでみました。
とてもうれしかった。
鈴木さんのやさしさがにじみ出ていて、でも、その やさしさに裏打ちされた、闇があった。
美しかった。
夢のような軽さを自嘲気味に描いた「生きる」と
生い茂った山吹を切り過ぎたときの寂しさの、対比。
明快な進路と、怯え。
さらっとした手触りの中にある、一歩手前の緊張感。
直感と感情と理知と構造と情緒と五感が入り混じった
「考える」と「感じる」が踊り続ける、紙に書かれたフーガ。
そこにいて鈴木さんがなにを感じたのか、に対して
とても公平で、忠実で、且つ厳しい拘り。
素晴らしい詩だと思いました。
年末、Twitterに鈴木さんがいることを、恩師である山田兼二先生のアカウントから知りました。
すぐフォローしました。
そして、以前見て強く感銘を受けた、鈴木さんの映画『臨界2003』を見たくなりました。
なかなか見付からず、探している内に
1974年に撮影され、1975年に完成した16mmフィルム作品『日没の印象』という作品を見つけました。
動く麻里さん、動く草多。私と同い年の鈴木さん。
鈴木さんが作品内で言っていた「なんか、詩を書くっていうことと、映像を撮るっていうことが
ようやく、僕の中で同列に来たという気がしている」という現場を見て
私も鈴木さんの極私的な世界の映像編が立ち上がった瞬間に
時間を越えて立ち会っている気がした。
草多を撮ってる時の照れとか、見ていて言葉にならない。
ワイコンの所が鈴木さんらしくてよいなぁと思う。
物凄く、一生懸命撮ってるんですよね、事前に。
で、軽く落胆。窓ガラス。
新年からグズグズ書いてしまいました。
まだまだ見られる作品が一杯あります。
時間が出来たらまた勝手に書きます。
Tags: 日々
明けましておめでとうございます
1月 2nd, 2011 · No Comments
明けましておめでとうございます。
昨年中は本当にお世話になりました。
今年が皆さんにとって、素晴らしい一年でありますように。
今年、私は初詣に父母と共に甲府市にある住吉神社に行きました。
我が家では初詣を家族ですることはありませんでした。
父が組合の関係で、住吉神社でお祓いをしてもらう会があります。
昔は皆で酒を飲み、酔いが回ったところで神社へ行っていました。
新年になった直後のお祓い、ということで大晦日~元旦は丸っきり潰れました。
一度だけ、中学生位のときにその会へ連れて行ってくれました。
それぞれ中小企業の社長であるおじさんたちが酒を飲みながら
宴会をしており、私は飲み屋にあった小さなテレビでサモ・ハン・キンポーの
『燃えよデブゴン』の年末年始再放送を見ていた記憶があります。
それから何十年かが経ち、一緒に行くことになりました。
だるまや破魔矢、お札が焼かれる火に当たりながら
集まった人たちを撮りました。
昔に比べると人が減ったなぁ、と父は言い
母は、私が撮影している姿を見て「バカだな~」と笑いました。
そうやって、皆の無事を確認した年の瀬でした。
今年もよろしくお願いいたします。
Tags: 日々